※このドキュメントは都合よく現代語訳されています。
「まもなくです」
外に様子を見に行っていた秋田が、大きな目をきらきら輝かせながら告げる。
それを機に部屋の空気はまたがらりと変わった。
ついさっきまでは、それぞれ声を落としてはいたけれど、それでもまだ和やかで賑やかだったのに。今はまるでぴんと張った弦のよう。そこにきりきりと矢を引いて、放つ瞬間を皆が待っている。
「緊張してる? 清光」
「……そりゃあね、」
無意識に手を握りしめていたのを、後ろから安定につつかれる。気付けば体中力が入りすぎていて、こんなに緊張するなんていつ以来だろうと自分のことなのに笑ってしまう。
人の身を得て早二年。
それでもまだ、こうして体の方が勝手に動くことがあるなんて。本当に不思議で面白い。
「なに、そんなに気負うことはないよ。失敗したところで無礼を理由に手打ちにされるわけでもなし」
「そういう時は幸せなことを考えるといいですよ!」
「今日の飯はなんだろうなーとか、そういうのか」
「肉がいいな、肉。でけぇやつ」
「今日はごちそうだぜ! 俺とみっちゃんの自信作だ!」
こそこそ、ひそひそ、さっきよりもさらに潜めたいくつもの声が後押しをしてくれる。
お前らこんな時でも食い気が先か。そう思えば自然と緊張もほぐれた。
そして囁き声もぴたりと止まる。
襖の側に控えている薬研の合図。
声を止めて、息も殺して、気配も感じさせないように落とす。
ここには誰もいないと、そう信じさせるまで。
やがて聞こえてくる足音と話し声。先導するのは平野。後を押さえるのは前田。
三人分の足音が部屋の前で止まり、同時に薬研が襖を引き開ける。
きっと勝手に開いた襖に驚いたんだろう、宙に浮いた手が所在なさげに彷徨って。
それから。部屋の様子を一目見て、足が止まる。反射的に逃げ腰になる。そこをすかさず平野と薬研が手を引いて前田が背中を押す。しっかり襖を閉めるのを忘れないのはさすが粟田口。え、ちょっと、なに、と小さく悲鳴じみた声も聞こえるけれど誰も止まらない。
一人だけ何も知らない主。
ぐいぐい引かれて向かった先は上座、ずらり戦装束で並び控える俺達の正面。
仕事を終えた薬研が俺の隣に、平野と前田もそれぞれ戻って、俺はすうと息を吸い込む。
なにより大事は勢い、落ち着く時間を与えるな、とは鶴丸の言。
作法など気にするな、わかりやすい方がいいだろう、と言ったのは一見そういう作法に厳しそうな源氏の刀で。
「我らが主におかれましては!」
回りくどい言い方しても伝わるもんが増えるとは限らねぇ、と助言をくれたのは同田貫で。
一緒に考えてくれていた歌仙も、うちの主はそうだろうねと同意したものだった。
「就任二周年を迎えられた由、刀剣男士一同心よりお喜び申し上げます!」
言いきって深々と頭を下げる。俺の両隣も後ろも全部一斉に動いた気配。全員揃っての練習なんて一度もしたことないのに上手くいくもんだ。正面から見たらきっと圧巻だろう、確かそっち側にもカメラは仕掛けてあるから後で見せてもらおう、一仕事やりきった安心感から今考えなくてもいいことがどんどん浮かんできて口元が緩む。まだ頭は上げない。面を上げよ、なんて主の口から出てくるわけはないから、何か一言でも喋ったら顔を上げようと決めていた。平伏したままじゃあお互いやりにくいし、なにより主がそういう堅苦しいのを嫌うから。
「…………お、」
意外と、思っていたよりは、長い時間硬直していたらしい主から、
ようやっと漏れたのはそんな声。
これでもいいのかなと恐る恐る顔を上げてみると、自分以上に口元が緩みきって挙動不審になっている主と、ぱちりと目が合った。
「お前が首謀者かっっっ!!! 加州清光っっ!!!」
「はーい、俺でーす!」
半ば叫ぶような声は震えてひっくり返りそうで、顔は赤いし目は若干潤んでるしものすごく逃げ腰だ。怒ってるわけじゃないな、と一目でわかるのはいい。でも本当に挙動が不審すぎて、ぱたぱたとわけもなく手を振ったりそわそわと右を向いたり左を向いたり、落ち着かない。
「大将ー、そんなに照れんなって」
「照れるわ馬鹿ー!!!」
ああ、照れてるのか。そういえば面と向かって褒められたりするとすぐ冗談に逃げたがる人だった。
「もう、もうなんなのお前ら皆揃ってきっちりしちゃって、正月だってこんなじゃないのに!」
「たまにはこういうのもよいのでは?」
「たまにはっていうか、初ですよ初! おめでたいですね!」
「おめでたいけど、わしとしては完全にやられたっていう気分でどうしたものかと!」
「そこはほら、去年は清光が上手くやられたって言うから」
「だったら意趣返しをしてやらねばなぁ」
「本当は衣装も揃えたかったんですよ!」
「さすがに気付かれそうだったから止めたんだよ。ま、俺達の正装つったらコレだからな、いいんじゃねぇか」
「くっそうお前らいい顔しやがって! どんだけ前から仕込んでたんだよー!」
じたばた、と形容するのがぴったりの、まだまだ落ち着く様子がない主に。もう押さえている必要がなくなったから次々に遠慮なく声がかけられる。
それでもまだ、誰も列を崩しはしない。
やがて主もそれに気が付いたようで。「何か」に、気付いてしまったようで。
怯えた様子でそろそろと、手を挙げた。
「え、と。……皆さん何をお待ちで」
「おや。答えを知りながらなお問うか。なれば答えてやらぬでもない」
「皆、貴方からの言葉を待っているのですよ」
「やっぱりかー!!」
ぎゃー、と大げさな悲鳴を上げる主。そういう反応をするだろうなとは思ってた。
さっき主も言っていたけれど、正月にだってこんなにきっちりと真面目に挨拶をしたことはないのだから。だいたいは宴会に紛れて、その場の勢いで、あるいは世間話のように、気楽にやるのがなにより好きな主だから。
それでも、部屋から逃げ出したりせずにその場にとどまっていてくれるから、だから俺達も期待してしまう。待ってしまう。
「……えと、座っても、いいかな」
「いいよ、主の好きなように」
「正座じゃなくても、」
「あんたはいつも胡坐だろう、無理をするな」
やがて覚悟を決めたように大きく息を吐いて。主はその場にどかりと腰を下ろす。歌仙も燭台切も直すのを諦めた主の胡坐。軽く組んだ手を前に。親指の爪を撫でるように触るのは考え事をしている証拠。下唇を軽く噛むのは緊張している時の癖。二年で知ったことはこんなにも増えた。
でも。
ぽつり、ぽつりと綴られる、挨拶のような、世間話のような、
実は俺達向けの感謝の言葉でしかないそれを聴きながら、思う。
二年経ってもまだまだ「初めて」は増えていきそうだよ、主。
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